by atsushi_yudono
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今日は「中国書画精華」を見に、上野の東京国立博物館に行きました。
白眉は伝毛松の「猿図」。 南宋時代の逸品とのことで、猿の「やれやれ」とも「世の中、そんなものさ」ともとれる 諦観とも達観ともとれる表情が見る人を釘付けにする絵です。 でも、伝毛松というのは、江戸時代の狩野探幽の説で、博物館のキャプションによると、 「根拠に乏しい」とのこと。しかも、描かれているのはどうやら「日本猿」らしい。 だとすると、誰がどこで描いたのか、謎は深まるばかりです。 他に出会えてよかった作品は、伝夏桂の「山水図」、文伯仁(文徴明の甥)の「四万山水図」。 後者は四枚の画で構成されていますが、「万竿煙雨」は雨にけぶる竹の野原を描いていて、 雨のしたたりと竹林の冷やかさが生々しく感じられました。 八大山人こと朱耷や王鐸の明末清初の書を見られたのも貴重でした。 朱耷の書は、一画の線の細さ太さがあまり変わらない特異なもので、一度見たら、 忘れられず、心惹かれていますが、明末清初の人で、明が滅んでしまったために、 名家に生まれたものの世に出る道を断たれ、狂人のふりをして世を捨てて書画を描いて暮した、 ということぐらいしか知りません。 あの特異な書画がどのような人生から生まれたのか、これから学びたいと思っています。 画は京都の泉屋博古館に所蔵されている「安晩帖」が有名です。 これは見に行ったことがあるのですが、一枚か二枚ずつしか公開されないのです。 もちろん、一枚でも素晴らしいのですが、いつか一挙に見たいものです。 八大山人の人生については、松岡正剛さんがまとめていましたので、 リンクをはっておきます。 「中国書画精華」だけで、帰ろうと思っていましたが、「日本美術の流れ」で、 良全の「如意輪観音坐像」、谷文晁の「彦山真景図」と出くわし、しばし見とれてしまいました。 「彦山真景図」は、福岡と大分にまたがる英彦山を描いた絵だそうですが、 九州の山のおおらかで雄大な地相を見事に捉えながら、豪快に描いていて、驚かされました。 谷文晁って、もっとおとなしい画人だと思っていました。 田安徳川家に仕えていたとのこと。彼の人生を知りたくなった一枚です。 見終わった後は、余韻に浸りつつ、鴬谷の「萩の湯」へ。 鴬谷駅から尾竹橋通りをまっすぐ行って、尾久橋通りを左折して、少し行くと マンションの2階に見えてきます。 尾竹橋通りと尾久橋通りの曲がり角には、豆腐料理で有名な「笹の雪」があり、 近くには書道博 物館や子規庵もあるので、帰りにこちらでいっぱいと行きたいところです。 とはいえ、このあたりは鴬谷のラブホテル街。民家のまん前にホテルがあったりします。 どうしてラブホテル街になったんでしょうか。 日が短くなりましたが、日があるうちの銭湯は格別です。 祝日の夕方なのに、けっこうお客さんが入ってきて、どんな人たちなんだろう、と思いましたが、 お互いさまですね。 帰りはラブホテル街を抜けて、入る二人、出てきた二人を横目で眺めながら、 鴬谷駅へ。 山手線の車窓から眺める暮れていく空がきれいでした。 鴬谷 南はお寺 北はホテル。 #
by atsushi_yudono
| 2010-11-04 01:41
| 銭湯
出張で夜の羽田空港から飛行機に乗ることに。
そんなときにおすすめなのが、銀座でひと風呂。 銀座に銭湯があるの? と思う方もいるでしょうが、二つもあります。 その名も銀座湯。それから金春湯です。 私はなぜだか銀座八丁目にある金春湯には行ったことがないのですが、 銀座湯にはちょくちょく入ります。 場所は銀座四丁目交差点から中央通りを銀座一丁目方向へ。 ホテル西洋銀座の交差点を右に入り、少し行くと、高速道路の出口が。 そこをさらに越えて、左に曲がると看板が見えてきます。 高速道路の高架のすぐ近くになぜ、銭湯が……、と来るたびに思うのですが、 この銭湯の歴史は秘密のベールに包まれています(調べていないだけですが)。 中は1階が女湯、2階が男湯という構造で、男湯の窓を外を走る車のライトの光が 時折、よぎっていきます。 絵が銀座四丁目交差点の和光のモザイク画であるのも、銀座ならではでしょう。 これから銀座で一杯の会社員、これからもうひと仕事のタクシー運転手、小料理店の 板前さんがお湯を浴びていると勝手に想像しながら、いつも浸かっています。 私はこれから羽田空港へ。 国際便ではなくても、空港には非日常感があって、銭湯との相性は抜群です。 出発までの時間に、不思議な解放感が訪れるのですね。 銭湯、山手線、モノレール(あるいは京急)、羽田空港は、これからのビジネスマンを 癒す定番のコースとなるでしょう。 羽田についたら、まずはビールをスリランカのカレーとともに一杯。 それから、お店を変えて、京都国立博物館で、若冲展や永徳展を成功させ、 同志社大学に迎えられた狩野博幸氏の『江戸絵画の不都合な真実』を読みながら、 ワインを一杯。 ページを開くと、ちょうど江戸時代の富士講(富士山信仰)と北斎の関わりを 解き明かした章でした。 富士講のなかで生まれた食行身録(じきぎょうみろく)という宗教者の革新的な思想が 語られて興奮しました。 彼の思想と富士山を多く描いた北斎とのつながりやいかに。 是非、この本を手にとってみてください。 他にも岩佐又兵衛、英一蝶、若冲、芦雪、写楽などが論じられています。 江戸屈指のそれぞれの画人の背景がわかるだけでなく、江戸の絵描きと染物屋の関係、 役者絵を描くことの意味など、江戸時代の社会において絵画や画人が占める位置が読み進める うちに少しずつ輪郭を現し始めるのが、この本の魅力です。 酔いがほどよく回ったところで、飛行機へ。 離陸前に眠りに入りました。 #
by atsushi_yudono
| 2010-10-20 22:49
| 銭湯
金曜日なので、仕事を早く切り上げて、今日こそは西日の銭湯にと思っていたのですが、
仕事が終わらず、日が沈んでから、神楽坂の熱海湯へ。 神楽坂下から神楽坂の細い脇道を上っていったところにある銭湯です。 入口にはちゃんと瓦屋根があって風情がありますが、いざお湯に入ると、 びっくりする方もいるかもしれません。 お湯がかなり熱いんです。 私は熱いお風呂が好きなので、大丈夫ですが、熱いお湯が苦手な方は 他の銭湯に行ったほうがいいかもしれません。 なかでは、「4番アイアンで、230ヤードはすごいよ」とゴルフ談義に花が咲いていました。 石川遼くんが出ている日本オープンのことでしょう。 遼くんはやっぱりおじさんのアイドルです。 神楽坂は来るたびに新しいビルが建ちはじめていて、普請中といったかんじです。 熱海湯にくる途中の道でも、東京理科大学裏のここに建てていいのか、というところに 高層ビルが建設されていました。その隣は二階建ての古い民家です。 神楽坂に人が集まりだして、10年以上経つでしょうか。 新しいお店がどんどんできて、おいしいお店も多いのですが、その魅力の源泉は ちょっとひなびた車が入ってこない路地裏でしょう。 でも、最近の再開発で、その路地裏の魅力が減じてしまわないかと心配です。 車が入れない路地裏を路地裏らしく整備する、そんな再開発の方が、多分、神楽坂の価値を 高めると思うのですが、私たちはまだ高いビルを建てたがる病に罹っているようです。 #
by atsushi_yudono
| 2010-10-15 22:55
| 銭湯
祝日ですが、取材のための下調べが必要になり、仕事場へ。
西日が射すなかの銭湯に入れるように仕事を終わらせるはずが、日が暮れてしまいました。 日が暮れても、お湯には浸かりたいので、神保町の梅の湯へ。 ここは最近のマラソン・ブームに対応して、ランナーが荷物を預けて、皇居一周を走った後、 お風呂に入れる銭湯です。 ランナー対応の銭湯といえば、半蔵門のバン・ドゥーシュが先駆けですが、皇居がある 千代田区の銭湯は、続々とランナーに対応しはじめているようです。 ランナーにとっては、ありがたい銭湯なのですが、昨今のブームで、入湯者が激増していて、 混雑時は、お風呂が芋洗い状態になんてこともあります。 最近、入った大手町の稲荷湯がそうでした。 皇居もオフィスも近く、ちょうど仕事が終わる時間だったので、入口は靴で溢れんばかりに なっていました。 そもそも、千代田区には銭湯が数えるほどしかないのです。 銭湯が繁盛するのは嬉しいことなのですが、竹橋のランピットのような施設が増えると 需要と供給のバランスがとれるのではないかと思います。 資本を動かせる方、是非、ご検討を。 梅の湯は、お湯がいつも沸かしたてに感じられて、体が温まります。 帰路は『平家物語』(岩波文庫)を数ページ。 数ページというのは、スラスラ読めないので、電車で読んでいると、すぐに寝てしまうからです。 全4巻のうち、ようやく第3巻まで来ました。 清盛が死に、頼朝が挙兵し、義仲が上洛しようとしているあたりです。 学校で「敦盛の最期」とか、合戦のくだりしか読んだことがなかったので、 そんな場面ばかりが続くのかと思っていたら、恋あり、陰謀あり、昔話ありと、 バラエティに富んでいます。 延暦寺や興福寺といったお寺が広大な土地を有し、大勢の僧兵を擁していて、 ときの政治を左右する存在であることを実感しながら、読んでいます。 #
by atsushi_yudono
| 2010-10-12 01:07
| 銭湯
夕食を恵比寿でとることになったので、その前にちょいとひと風呂。
恵比寿駅から歩いて数分の新橋湯へ。 新橋商店街のなかにある銭湯です。 恵比寿なのに「新橋」なのは、なぜかと思って昭和30年代の地図を見てみると、 このあたり昔は新橋町だったんですね。 お隣は豊沢町、そのまたお隣は白金三光町となっていました。 白金三光町は大佛次郎が12歳のときに牛込区東五軒町(現新宿区)から 引っ越してきたそうです。 いつまで住んでいたのでしょうか。 新橋湯は相変わらず清潔で気持ちいいお湯でした。 竹林の絵も清々しかった。以前、入ったときは違う絵だったような。 お湯から上がって、新橋商店街をとぼとぼと。 おいしそうなレストランやバー、お蕎麦屋さんなどが並んでいますが、 あまり入ったことはありません。 恵比寿駅東口に近いお店で夕食をとって帰りました。 帰路はマルセル・モースの『贈与論』を読んでいました。 「物が与えられると、それだけで贈与者と受贈者との間に取り消しのきかない双方的な絆が できる」(『贈与論』、ちくま学芸文庫、215-216ページ) 親戚や友人から物をいただくと、母から「すぐにお礼状を書きなさい」といわれたものです。 それは物を貰う恐ろしさに裏打ちされた古くからの知恵だったことに今ごろ気づかされます。 贈与の行為は物のやり取りに魂を込めますが、他方、うっとおしい地縁・血縁の共同体的な絆に 人々を巻き込んでいきます。 すると、何でもお金で交換したほうが、しがらみがなくて自由だし便利だ、ということに なるのですが、そこでの交換からは魂が失われます。 この贈与と(貨幣による)交換の長所と短所は、今でも色々なかたちで人間を拘束しています。 たとえば、田舎の人間関係を逃れて都市に出てくれば、 そこでの自由は快適だけど冷たく感じられます。 人間はわがままなもので、田舎にいれば、都市に憧れ、都市にいれば、田舎に憧れるものです。 人類が生まれたはるか昔から行われてきたと思われる贈与と(貨幣による)交換の対立は、 田舎/都市、共同体/個人という近代の対立に至るまで、人間を束縛しつづけています。 相手を強く束縛せずに、魂を込めた物を与え合うことはできないものだろうか……、 お金を持っていれば何でもできる、と思っている人が持っている無神経な態度が苦手で、 「わがまま」な私は最近、そんなことを夢想しています。 (傲慢な態度のお金持ちが苦手、という意味ではありません。 お金で買えない物はない=お金で買える物しか物に見えていない、 その鈍感さが嫌いなのです) #
by atsushi_yudono
| 2010-10-08 23:51
| 銭湯
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